”I have the only bragging rights in my life.”
私には人生で唯一の自慢話がある。
それは藤子F不二雄さんとお茶をしたことがあるという自慢だ。
幼稚園くらいか、まだチビガリだった私は隣のじいちゃんの家に遊びに行っていた。
祖父がこれから藤子F不二雄さんが来ると言って私は喜んだ。
なんでも藤子F不二雄さんが一時期、昔の祖父の家に居候か何かしていたらしく、その時のお礼に来たとのことだった。
当時は家賃代わり?か差し入れ?かでキャベツ?を貰ったとかなんとか。
祖父との再開がこの時のみなのか、たまに会っていたのかも聞いた気がするけど忘れてしまった。
コロコロコミックの愛読者だった私は喜んだが、その時自分がどんな対応をしていたかまでは覚えていない。
極度の人見知りだったので、ただその場に居ただけだろう。
祖父の家の居間で、三人がどんな配置で座って、お茶を飲んだかまで覚えている。
例えば東京で育つ子供の1万分の1にも満たない情報量の中で生きていたので
まず大人に出会うということ自体が大変な出来事だったが
中でも藤子F不二雄さんはとても印象的だった。
とても紳士的な方で、さらに富山弁しか接したことのなかった私は標準語で穏やかに話す紳士に見惚れた。
藤子F不二雄さんに対しては、ただこの人好きだという感情でいっぱいになり
そして完全に祖父のことを尊敬した笑
ゆれるお茶の緑色や場面だけを覚えていて会話の内容は覚えていないが
最後に色紙に「オバケのQ太郎」を書いてもらった。
大切な宝物になった。
時が流れ、小学校高学年、いや多分中学生の頃に図書室に「まんが道」があったのでワクワクして読んだ。
しかしページをめくれどページをめくれど祖父のエピソードは一向に出てこなかった。
後でこれを書いたのは藤子不二雄Aさんの方だったと気づいた。
18歳の頃、藤子F不二雄さんのSF・異色短編集に嵌った。
「流血鬼」を読んだ時にはこれを映画化したいとか思ったりしていた。
どの短編も面白く、子供の頃に会ったあの紳士の人が描いたかと思うと、少し不思議な感じがした。
当然初期のドラえもん映画も全部観た。
去年「高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」に行った。
入って最初に目にする文章があまりにもよくてちょっと泣いた。
何て書いてあったか全く覚えてないが。
「オバケのQ太郎」の色紙はいつの間にか捨てられてしまったから
「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」に寄贈することはできないが
全ては大切な思い出ですね。
高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー
F先生とは別の余談になってしまうが、戦時下、の情報が入ってくる最近は
手塚治虫「アドルフに告ぐ」を思い出す。(坂口尚「石の花」も)
はっきりと内容は覚えていないが、戦争、環境、状況で人が変わってしまう悲哀がエグいところまで描かれていて
この投稿をしようと思っていた今日、藤子不二雄Aさんの訃報のニュースが目に入った。
心よりご冥福をお祈りします。
Thank you for everything.