Leokanblog|リョーカンブログ
【きれぎれ万葉余談】
撮影の仕事を始めたのが遅かったので、肩書きを言ったり書いたりする場面になるとむずむずしてしまうことがある。
カメラマン、フォトグラファー、ヴィデオグラファー、写真家、映像作家、Filmmaker、Cinematographer、などなど
場面場面、要所要所で自分も使うことはあるが正直烏滸がましいという感情もあったりする。
岡本太郎だったら「俺は岡本太郎だ!人間だ!」と言って済ますだろうからそうすればいいだけだが。
そういう事って仕事に限らず往々にしてあって、例えば「映画を作りたい。」と言った時の「映画」のイメージは話し手と聞き手で大きく違うこともあるだろう。話し手は職業俳優を起用しないで撮るタイプの映画の話をしているのかもしれない。聞き手はその言葉を聞いて一体どんなスター俳優をこの人は撮ることになるんだろうとキラキラと妄想を輝かせているかもしれない。そして五分後の世界で騙されたとガッカリするのだ。
自分も「映画を作りたい」みたいな事を言った場面はかつての人生であると言えばあるのだが、なるべく避けてきた。
(ちなみに今は映画を撮りたいという欲望は全くないです。そんな仕事のオファーがあれば撮るかもとは思うけど。)
「映画」という単語で思い出したが、「シネマティック」という形容詞は未だ自分の口から実際に発したことはないが、もう何年もとてもよく聞くようになった。最初の頃は「あー俺はマレマティックか。」と独り言ちてしまっていた。
これは嫉妬や妬みの類の話ではなくて、「シネマティック」という言葉を使う素敵な方々はいっぱいいる。好きです。
私が言いたいのはそれはオートマティック。
例えば駅の構内を歩いていたとして壁に「自分らしく」ってワードがあるポスターがキラッと目に入ってしまったら最後、条件反射で瞬時に「自分らしくなくても自分なんだ。」と脳内突っ込みが入ってしまうだろう。(もちろんそんなことでそのポスターを否定する訳はない。なぜならそれはただの言葉だからとそのまま歩きながらそうなった背景を想像するだろう。)
そんな感じで「シネマティック」と聞くと「シネマ」じゃないのか、と少し脳内突っ込みが入ってしまうのだ。
これはロベール・ブレッソンが「私が作ってるのはシネマではないシネマトグラフだ。」と言ったことと似てる。
いや、多分全然違う。と瞬時に全世界に潜むブレッソンファンに謝る。
なんなら今の流行りよりもっと前、シネマティック・オーケストラを聴いていた時から既に内心ちょっと思ってたことだった。
と、ここまで「シネマティック」の話になってしまったからにはこれからは俄然使っていくかもしれない。
話を戻すとそんな感じで適当な言葉がないなぁと思っていたある日「Music Vlogger」というワードを思い付いた。
必ずしも自分が作った曲じゃなくても、誰かの曲でも、街の音でも、ナレーションでも、無音だったとしても
『Music Vlogger』という言葉は不思議と妙にしっくり来た。
なのでこれからは『Music Vlogger』という古くて新しい職業を作ってやっていこうと一年以上前、二年前?もっと前?と結構前に思ったのだった。
あ、「M・V」だ。と思っただけだけど。
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